ねむいね、くま先生

思考の遠心分離

猫になったら

猫になったら、1日中ごろごろして過ごしたい。暖かい部屋の中で床に寝転がってぼーっとしていたいし、窓から見える景色の些細な変化をじーっと見ていたい。たまには外に出て散歩もしてみたい。アスファルトの道路のど真ん中で寝そべって、通ろうとする車を困らせてみたい。何か1つのものを追いかけることに夢中になりたいし、眠くなったら好きなだけ寝たい。少し寂しくなって構って欲しくなったら甘えたいし、飽きたらその好意をそのままに我慢させたい。めんどくさいことは嫌いだ。いつだって自分の思うままに生きてみたい。少々のわがままだって、かわいいから無条件で許される。そんなことを思いながら、ぼくは猫になることはなく26歳になりました。こんばんは。

 

いやはや、もう26歳です…26歳ってもっとしっかりしていると思ってました。が、それは自身の大人像の揺らぎによって年々変化していくことなので気にしません。どうせ27歳になるときも同じこと思うし。割愛。

 

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何だかこの1年は自分に足りないものを必死に追いかけていたような気がしていて、何かを取り返したいと思っていたけれど、結局特に変わることも無かったのかな、と今は思います。(少しは変わったと思うけど。)こうなりたい、と思うのは自身を向上させるために必要なことだし、素敵だなあと思うんですが、目指した先が自分の属性に向いているかは別の話で。ぼくの場合、多数ある向いてないことを何とか向いているものにしようと苦心していた気がします。短所だらけなので(歩く社会の不良債権)。でも憧れは自らの良さを殺しかねないし、エゴの範疇を超えることは無いのかなと。必要なのはこうなりたくないという反面教師像で、というのは自身の成熟の1つの指針になりうるし、それを避けることさえできれば嫌な自分にはならない。自分が今持っているもので生き抜く覚悟、その潔さ(ある種の諦め)がないと、本当に魅力的な人にはなれないんだろうなと思います。日々の言動を省みて是正していけば、間違いなく理想の自分に近付けるし、誠実ささえあれば大丈夫な気がしています。生まれてきてからこれまでに獲得してきた良さを磨いて持ち合わせで勝負する、それを賢明と呼ぶのでしょうか。数少ない自分の良さをきちんと理解して大事にしていきたいですね。そうすることが交換不可な自分になるための唯一のサルベイション。

 

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モーツァルトクラリネット協奏曲みたいな人いいよなあ…って思っていましたが、あんなに穏やかで明るい大人にはなれないので、諦めてシューマンの3つのロマンスみたいな人になりたいです。笑

 

というわけで最近はこの音源にはまっています。

・3つのロマンス/シューマン

オーボエってクラリネットみたいに器用でも無ければ万人受けするまろやかな音色でもない、けれど制約が多い(音域が狭いなど)故の魅力がたくさんあるなあと思います。いつか吹いてみたい。

 

シューマンってオーボエに素敵なメロディいくつか書いてるんですよね。その最たる例がこのピアノ協奏曲です。

・ピアノ協奏曲/シューマン

冒頭のオーボエで演奏されるメロディ(C-H-A音型:シューマンの愛したクララに因んだ素敵なレトリック)が何とも絶品…。このメロディを吹くためにオーボエ初めました。それくらい好きです。

 

 

今年はシューマンの作品をいくつか演奏する機会がありそうなので嬉しいです。またそのうち紹介します。

 

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今年もたくさんの人と会ったり、いろんなところに旅行してみたいです。音楽も続けていきます。よろしくお願いします。